第二章 神を失った世界

第1話 1/2/3

大陸の南、エルフの大地の冬は短い。
海から吹いてくる風がもう冷たく感じられないほど、気温は上がっていた。
老人のエルフ達がマレアの祝福と呼ぶ天気、暖かい春の日だった。

トリアン・ファベルは小さな花束を胸に抱いて神殿の方に向かっていた。
黒いリボンで結ばれた花束は故人のためのもの。
毎月1度、トリアンはマレア神殿に花束やロウソクを捧げ、亡くなった母親のために祈っていた。

それは30年以上も続けてきた習慣のようなことだった。
幼い頃には父親に抱かれて神殿に来ていたが、それから何十年も経った今もそれを続いている。

トリアンは母親に対して微かな記憶しか持っていない。
寿命がヒューマンの2倍もあるのがエルフだが、トリアンは母親の死をほとんど覚えていなかった。
その時のトリアンは赤ん坊だったのだ。

35年前のロハン暦258年、建国直後からエルフの首都だったレゲンをモンスターに奪われる。
建築家だった父親はその当時エルフの第2の都市ヴェーナで働いていた。
休みを取ったという父親からの連絡で、母親は2人の子供と共に喜んでいただろう。
しかしそんな平和な日々は何の予告も無く壊れてしまった。

いつの間にかレゲンを包囲したモンスターの群れは夜を狙ってレゲンを襲撃し、大勢のエルフが虐殺された。
トリアンの母親は他のエルフと共に第2の都市ヴェーナへ逃げた。
やっと一人で歩き始めた息子の手を握り、まだ赤ん坊のトリアンを抱いたまま。
マレアの神殿で働いていた見習い司祭のゼニスの手に抱かれてトリアンがヴェーナに到着し、父親に無事会えたのは奇跡に近いことだった。

ゼニスの話しによると、背中を斧で刺された姿で死んでいた母親に抱かれていたトリアンは泣いていて、彼女の兄は行方不明だったそうだ。
微かな記憶の中の母親と、顔も覚えていない兄を犠牲にしてトリアンは今も生きている。

「全ては父なるオンや、マレアの加護の中で…ということか」

神殿で基礎教育を受け始めた時から習った警句を呟きながらトリアンは眉をしかめた。
何ヶ月前にあったことを急に思い出したのだ。

最初の疑いを確信に変えた出来事、大神官リマ・ドルシルの頼みでキッシュという異種族の人とヒューマンの領土を訪問したこと。
その旅でトリアンが感じたのは全ての父なる主神オンは既に消滅し、各種族の5人の下位神は、この地から全ての生き物を抹殺させようという恐ろしい事実だった。


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